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2012年11月

2012年11月19日 (月)

供給量16分の1でも収入2割減の会社

発電量ゼロでも電気料金徴収!東電・勝俣前会長の天下り先「日本原子力発電」
   いま一番怒る週刊誌「ポスト」が「まったく発電していない原発」のために、値上げされた電力料金が使われていると告発している。国民の支払う電気料金が発電量ゼロの「日本原子力発電」という会社へ支払われているというのである。

「ここは東海第二原発(110万キロワット)、敦賀原発1号機(33・7万kキロワット)、同2号機(116万kキロワット)の3基の原発を保有し、東電をはじめ、東北電力、中部電力、北陸電力、関西電力の本州5電力会社に電気を売る卸電気事業者である。
   3基のうち、東海第二は昨年3月(2011年)の東日本大震災で自動停止した。敦賀1号機は昨年1月から、同2号機は昨年5月7日から、それぞれ定期検査のため停止されている。当然、その後、現在に至るまで発電量はゼロである。
    ところが、同社の有価証券報告書によると、昨年度(12年度)は東電の約465億円をはじめ、関電・約341億円、中部電力・約307億円など5社から電力を売った代金として合計約1443億円を受け取り、93億円の経常利益を上げている(震災の被害による特別損失計上で最終損益は赤字)。本社社員の平均年間給与は637万円。経産省が電気代値上げにあたって電力各社に求めている賃下げ基準(大企業平均596万円)より高い。
    敦賀2号機だけは昨年4月1日から5月7日に停止するまで37日間稼働したとはいえ、その間の発電量は10億キロワット時と前年度の発電量(162億キロワット時)の16分の1に過ぎない。
    なぜ、事実上『発電ゼロ』の会社が利益を出せるのか。
    次の数字を比較してほしい。過去2年間の日本原子力発電の発電量と電力5社が支払った金額は、
    ◆11年度162億キロワット時 1736億円
    ◆12年度 10億キロワット時 1443億円
と、発電量が16分の1に減ったにもかかわらず、電力会社の購入代金は2割しか減っていない」(ポスト)

   いったいどんな会社なのか。「日本原子力発電は原子力発電推進のために電力9社と政府系特殊法人の電源開発(現在は民営化)の共同出資で1957年に設立された国策会社だ。筆頭株主は東京電力(28・23%出資)。66年には日本初の商用原発『東海発電所』の運転を開始し、前述のように現在3基の原発を保有している。社員数は関連会社を含めて2254人。原発推進派の政治家、与謝野馨・元財務相は議員になる前に社員だったことでも知られる」(ポスト)
   東電は今回の値上げで年間ざっと6150億円の増収を見込んでいるが、そのうちの1003億円はここのために使われたのだという。
   東電にはこの会社を潰せない理由があった。原発事故で引責辞任した勝俣恒久前東電会長が天下っているからである。ポストはこう結んでいる。
「この企業の清算を早く決断しない限り、東電だけではなく、値上げ方針を打ち出した関電はじめ全国の電力会社が新たな料金算定に原発企業への救済資金を盛り込むのは確実で、今後も国民負担は膨らむばかりだ。これでも電気代値上げは仕方ないと思えるだろうか」

http://www.j-cast.com/tv/2012/11/09153360.html?p=2

これもネット上の「J-CAST テレビウォッチ 元木昌彦の深読み週刊誌」というページからだが、同社はこの数年内でも様々な不祥事を起こしている。
〇データ改ざん問題(2007年) 経済産業省に提出した報告書で計15項目のデータ改ざんや隠ぺいがあったことが発覚し、関西電力とともに福井県に謝罪した。
〇データ流出問題(2007年) 従業員の私有パソコンから敦賀発電所の雑固体減容処理設備に関する技術資料や写真など計482件の業務情報がファイル共有ソフトのネットワーク上へ流出した。
〇ドラム缶廃棄問題(2009年) 新潟市内の産業廃棄物処理施設で「日本原子力発電(株)東海発電所」「放射性廃棄物」等と記載されたドラム缶が発見されたが、ドラム缶製造業者の試作品であったため汚染は検出されなかった。

東電含む電力9社が8割の株を持つ親会社である。さらにここに沖縄電力を加えた10社が作る法人格もない団体 電気事業連合会 はテレビCMも過去行っており、これらの費用は電力各社から支払われた会費からであろう。
法人格もないのだから、消費者団体も中身をチェックしようがない。ここのサイトを見ても法人格の有無にかかわらず原子力関係の団体がたくさんあるのが分かる。
次々と値上げする電力会社幹部の天下り先が、一体いくつあるのか想像もつかない。

2014年から新卒採用を再開する東電。

原発絶対反対派ではないが、原発の正否以前が問われている時に、国会でつまらぬ揚げ足の取り合いをする時間があれば、これら団体の存在と活動内容を公にして議論してもいいんでは?

2012年11月12日 (月)

北京国際馬拉松赛

やたら中国批判をしているように受け取られるかもしれないが、中国人が嫌いなわけではない。
国が広く、人口が多く、貧富の差が激しい故に、信じられないような事件がおこる、お隣の国。
ほぼ同じような人種で、しかも文化的にも大きな影響を受けている、とっても近しい国でである。
この四半世紀で急激に豊かになった中国は、それはそれで勘違いな行動も起きている。
個人も政府も成金趣味な部分も多々見られる。
それもこれも広くて人口が多いからである。

例えば日本で年に1回、驚くような猟奇事件が起こったら、中国では10回以上起こっても不思議ではないし、なんでも10倍あれば、10分の1の国では起こりえないことも起こり得るのである。

だから善い人も、能力の高い人も、素晴らしい出来事も同じように10倍そして想像を絶するレベルで起こっているはずである。ニュースは良い話が多いと見る人がいないので、載せない。

さて、中国がまた、変な措置で恥をかいている。官僚も10倍いればおかしな感覚の人も10倍いるのだろう。 日本は平和すぎてぼーっとしてるイメージがあるから、強く出たら何らかの効果があるだろうと ナメられる傾向にあるからかもしれない。

9月18日の暴動の影響で、日本人の安全保障が出来ないからって言うのは良い言い訳だと思うのだけれども、いずれにしても事前に伝えてなかったことで、単なる敵意からということは明白で、後でこうなることを予想できないのは、少し稚拙。

Photo
北京マラソン「日本人拒否」問題、中国陸上競技協会が“苦しい”弁明

  “意趣返し”のつもりが腰砕けになった。25日に開催される北京国際マラソンに日本国籍の選手が登録できなかった問題で、大会組織委員会が一転して公式ホームページでの受付を始めたことが11日、分かった。可能になったのは10日深夜(日本時間同)からとみられる。中国国内からネット上で「国際社会で大恥をかいた」などと批判が殺到したことが背景にあるようだ。(サンケイスポーツ)
 北京国際マラソンの登録は、8日に公式ホームページを通じて開始。国籍を選ぶ欄には約240の国や地域がありながら「日本」はなく、日本人は事実上、大会から締め出された。日本政府による尖閣諸島(沖縄県)の国有化に対する中国政府の対抗措置とみられる。
 この「日本外し」が9日以降、国内外で報じられてからというもの、ネットを中心に多数の批判の声があがった。
 「(中国は)国際社会で大恥をかいた」「スポーツの精神に反している」「国際大会なのに視野が狭い」などなど。

 

さらに中国の短文投稿サイト「微博(ウェイボ)」が日本での報道を転載すると、利用者から「五輪を開催した街としてみっともない」「組織委員会は頭が悪すぎる」との批判が相次いだ。
 北京の日本大使館も10日に主催者の中国陸上競技協会に書面で抗議。すると、10日深夜になって突如、公式ホームページの国籍欄に「日本」が表示されるようになった。
 同協会の沈純徳副主席は中国メディアの取材に「日本のマラソン愛好者の参加を拒否したことはない」とコメント。同協会のホームページでも「日本人は去年まで団体での申し込みが多かったので、ゼッケンの受け取りなどの利便性を考え、団体で申し込んでもらおうとした」と“弁明”した。
 これで日本人も参加可能になったとはいえ、参加者はごく少数にとどまる見通しだ。定員3万人に対し、すでに枠は2万9000人以上が埋まっている。中国旅行そのものが低調なうえに、中国共産党大会の日程がなかなか決まらなかった影響もあり、例年ツアーを組んでいた旅行会社も今年は断念していた。
「変わり身」の背景には、中国国内での批判が思いのほか大きくなったことがあるとみられる。日本に対する国民の批判の矛先がいつ、政府に対する批判へと変わるか分からないとされるだけに、「風向き悪し」とみたのか。さらに、国際社会での批判を懸念した可能性もある。
 国籍による差別をしたり、政治の問題をスポーツに持ち込んで嫌がらせをすることが、国際社会では冷ややかな目で見られることすら分からなかったとしたら、何とも幼稚な国家だ。

2012年11月12日産経ニュースより

2012年11月 1日 (木)

生きる意味=存在し続ける事

日本の自殺者数はどうなっているのだろう?

23

社会は複雑になりすぎた。

自分の仮説では、生き物はおろか、意思のないはずの石ころや空気でさえ、生存欲求がある。

無機物は生きてないのに生存欲求があるというのはナンセンスな気がするが、石ころに意識がないというのは証明されていないはずだ。

時間は流れ、誰も止められない。時間が流れるから変化があるのではなく、変化があるから時間が流れると考えればどうだろう。

時間が流れ、変化がある限り、今のままの自分(モノも含む)は永久に今のままの姿ではありえない。

だがすべてのモノには今のままでありたいという欲求がある。

高度に進化したモノである有機物、その中で更に進化した生き物は、今のままであるために自分の姿が変化(老化→死という変化)を避けるために、自分のデータを残そうとした。

それが生殖である。

では最も高度なモノである生物、その中でも高度である植物や動物はなぜ生殖に異なった個体同士のデータの交配を選んだのか?

それは止められない変化=環境の変化に呼応して自分を変化させるためである。

全く同じ環境に育った兄弟でさえ、全く同じ位置で環境の変化を受けることはありえない。

だが全く異なる種同士が交配すると、過去のデータを有効活用できない。

だから人間同士のように類似した種族同士の交配しか成り立ちにくいようにしてある。

なぜ異性に恋をするのか、恋をしたら交配行為をしたくなるのか、それは自分のデータ保存のための生物という高等なモノに与えられた知恵である。

高度に進化したモノである人間が社会のなかでなぜ近親による交配を避けるルールを作るのか?

それは必要な範囲内で変化に対応する個体を作ろうとする本能の知恵である。

他を殺すことと、自殺することは意味が違う。

他を殺すことは、自分という個体の競争力を試す上で、もしくは生き延びるため、場合によっては必要な悪であることがある。

自殺というのは、複雑になりすぎた社会の中でバランスを崩した本能の現れである。

アレルギーやアトピーのような本来個体を守るために進化した免疫反応のようなもので、皮膚細胞が毒物から皮膚を守ろうと攻撃された異物を排除するために古い皮膚を輩出して新しい皮膚に後世を任せようとする本能が毒ではない危険のない異物にまで過剰反応した結果である。

自殺はこれの社会版で、本来ストレスは飢餓や危険が近づくと起こるものだが、生まれて一度も本格的な飢餓や危険を経験せず、周りの人もすべて同様に飢餓や危険がないのが当たり前の環境に長くいると、「社会が複雑である」という、どうでもいいことがとっても大きなストレスとなる。

というのは自分の仮説ですが、どうでしょう?

自殺するなら絶食か、入水とか、一瞬で死ねない方法がいいですよね。

極限に来たら生きる意欲が湧くかも。

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