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2011年4月29日 (金)

ゾウの時間 ネズミの時間 一生の時間

哺乳類の生理的限界寿命はからだのサイズの4分の1乗に比例して長いとされ、心臓の拍動や呼吸活動の一周期にかかる時間も同じ関係にあるので、哺乳類各種の個体がその生理的限界寿命の間に行う心拍や呼吸の回転数はサイズに関わりなく同一である、とされます。ネズミの生活テンポが速く寿命も早く来てしまうのに対して、ゾウに流れる時間はゆったりとしていて寿命も長いように見えますが、生命活動の総量としては同じ。

(サイトから引用ですが)というのが、一時期ベストセラーになった東工大の本川達雄教授の1992年出版の「ゾウの時間、ネズミの時間」の考えです。

Photo

私が、1983年頃に考えたのは、少し違います。

生き物の一生の感じ方は同じで、それが時間によって分割されるということです。

よく若くして亡くなった方に「あんなに若いのに可哀そうに」という言い方をします。

確かに残った人からするとそうですが、元気で2倍の時間を生きたの1時間と、その半分の時間を生きた人の1時間の価値(もしくは感じ方)が同じでしょうか?

1歳で死んだ人の1時間は、その人の一生が一年なのだから、その人の1時間は、100年生きた人の1時間と同じではないはず。つまり、1歳で死んだ人の1時間は100年生きた人の100時間に相当するということです。

20代前半でこのような考え方を信じた私は日々をそれを確信することになります。

子供のころから、大人たちが「年を経るごとに時間が早くなる」というのを聞いていましたが、20歳を過ぎても気にもかけていませんでした。

その後、この考え方(仮に「生涯時間同一論」としましょうか)を心に確立してから、大人が言っていた、年を取るごとに時間が早くなるというのがこれで理にかなうと思い始めました。10歳の時の1年は一生の10分の1の時間ですが、50歳の時の1年は一生の50分の1の時間の感覚なのですから、短く感じるのは当たり前です。

実際自分も年を重ねるごとに1年が過ぎるのが早くなっているのを実感すると、余計にこの仮説を信じるようになりました。

つまり、残酷な言い方かもしれませんが、1歳で死んだ赤ん坊も、赤ん坊の時間感覚からすると決して短い人生ではなかったということになります。彼にとってその1年は80歳で死んだ人と同じ長さなのですから。

3歳までの記憶がほとんどの人にないのもうなずけます。

21歳の人にとって、3歳の時の1時間は、ついさっきの1時間の7倍のスピードで過ぎたわけですから、覚えている方が難しいと言えます。

この仮説を裏付ける、もっと他の例があればよいのですが、、、、

逆にこの仮説を否定する考え方があれば最も面白いのですがどうでしょう?

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